豊島区№5遺跡「染井遺跡」 ~ 豊島区最大複合遺跡 原始・古代編1 ~
染井遺跡は巣鴨一~五丁目ならびに駒込一~七丁目にかけて広がる、実に54万㎡超の面積を誇る豊島区最大の遺跡です。その内容も旧石器・縄文・弥生・古代・中世・近世(江戸時代)と、ほぼ全ての時代を網羅しています。その中で、今回は原始(旧石器~縄文時代)の遺跡についてご紹介致します。(※豊島区№4遺跡は欠番)
染井の地では、今から2万年以上前にさかのぼる人類の痕跡が見出されています。当時は氷河期の終わり頃(最終氷期)、獲物となる動物を追いながらの移動生活が行われていた時代です。染井遺跡では、彼らが使用していた道具類、すなわち打製石器(ナイフ形石器・角錐状石器など)や宿営した痕跡(礫群)が発見されており、これは確認される限りで豊島区最古の人類の痕跡です(写真①)。
続く縄文時代では、早期~中期(約4000~8000年前)の住居址数軒が発見されています。縄文土器は、これまでに早期~後・晩期と、おおむね縄文時代のほとんどにわたる時期のものが発見されており(写真②)、染井地域に連綿と人々の生活が営まれていたことが窺えます。さらに、かつて明治時代には染井霊園内の縄文貝塚(染井墓地内貝塚)が知られていました。しかし現在ではその位置が不明となっており、これまでに発見されている縄文集落との関係を探る上でも、今後の再発見が望まれます。
こうした旧石器~縄文時代の痕跡は、主に染井霊園周辺から東はJR駒込駅周辺にかけての地域で点々と発見されています。この地域は、およそ染井遺跡の北辺、豊島区と北区の区界付近を流れる谷田川(藍染川。現在暗渠)を見下ろす台地上にあたります。谷田川の対岸には、北区西ヶ原貝塚(都指定史跡)をはじめとした数々の縄文集落や貝塚が存在していることからも、谷田川流域は生活に適した豊かな環境にあったと言えるでしょう。