豊島区№1遺跡「氷川神社裏貝塚」
氷川神社裏貝塚は、池袋本町三丁目にある遺跡です。海から遠く離れた豊島区に貝塚があった、というと意外な気もしますが、かつて大正年間にこの貝塚で縄文土器を採集していた地元の稲垣喜平・義松さん親子(故人)のお話によれば、シジミが特に多かったとのことで、主淡貝塚、つまり川や沼などに棲む貝が中心だったと考えられます。しかし、ハマグリやアサリといった、河口付近に生息する貝もみられたことから、縄文人の行動範囲はひじょうに広かったと想像されます(豊島区1981『豊島区史』通史編1)。
明治時代に活躍した研究者の一人、白井光太郎が土偶を発見したことで、この貝塚は一躍注目を集め、以来さまざまな研究者が調査に訪れました。縄文土器や石器、とりわけせき石ぞく鏃(矢じり)がひじょうに多く見つかる遺跡として知られていました。このほか、粗製の曲玉や丸玉なども発見されています。当時は「池袋村貝塚」とも呼ばれて、東京でも著名な遺跡の一つでした。
残念なことに、現在のところ貝がらの積もった貝層の正確な位置は不明です。大正年間以降、急速に進んだ宅地化の中で、貝塚としてのおもかげは薄れてしまいました。しかし、最近の発掘調査でも、縄文時代中期~晩期(およそ4000~3000年前)の土器や石器が発見されます。ですから貝塚や、貝塚を残した縄文人たちの住まい(竪穴住居)は、いまだ土の中に残されている可能性は高いといえるでしょう。近い将来、彼らの埋もれた