豊島区No.6遺跡「巣鴨遺跡」~ 石器と獲物と巣鴨の谷 原始・古代編 ~
巣鴨は豊島区内で最も多くの発掘調査がなされており、町人地や武家地といった江戸時代の遺跡の印象が強い地域です。しかし、旧石器・縄文時代の遺構・遺物も発見されており、徐々に原始の巣鴨の様子が明らかになってきました。
“巣鴨にも旧石器時代の遺跡がある”とわかったのは、巣鴨四丁目の関東ローム層(いわゆる赤土)から、黒曜石製のナイフ形石器が出土したことによります。また、縄文時代草創期から早期(1万2千~6千年前)の陥(おと)し穴や、縄文時代後期の土器(堀之内Ⅰ式)のほか、黒曜石製の矢じりなどが都立大塚ろう学校の建て替えによる発掘調査で相次いで見つかりました。
こうした石器の中でも、ガラス質で切れ味のよい黒曜石は多く用いられた石材です。しかしこの石は近くで採れるものではなく、少なくとも長野や箱根まで行かなければなりません。現在なら日帰りで行ける場所ですが、当時は何日も費やした危険な旅であったことでしょう。こうした石材は自ら採取に行くか、交易によって何かと引き換えに手に入れたと考えられます。
発見された地点は少ないですが、この場所を地図上に記していくと、現在は埋もれてしまっている谷の周囲に集中することがわかります。巣鴨は南北に谷田川と谷端川に挟まれており、ここから枝状にいくつもの谷が延びていました。残念ながら巣鴨では住居址は発見されていませんが、これらの成果から巣鴨地域は当時、狩り場であったと考えられます。谷の近くに陥し穴を掘り、槍や弓で獲物をそこへと追い込んで捕らえていたのでしょう。